痛い経験も辛い過去も全てが土台となったアットホーム留学【アットホーム留学誕生秘話その1】

山あり谷ありの人生は、
幼稚園の頃から
ジェットコースターのように・・

 

アットホーム留学プロデューサー
神谷真綺(マキ)です。

 

2020年も引き続き
どうぞよろしくお願い致します。

 

昨日の紅白は
ご覧になりましたか?

 

私はYOSHIKISSに感動し、
たけしさんの歌に震え、
ユーミンの歌に涙しました・・

 

今年はたくさん
「感動」を受け取る姿勢で
過ごしていきますよ。

 

早速今日も朝の5時半から
全国の経営者さんたちと共に
1年の抱負を語らいあう
Zoom会に参加し、

 

その後はOjojoと
ものすごく濃厚な時間を
過ごしました。

 

 

ミレニアム20
(2000年にハタチ)の
私は、今年40歳。
Ojojoは今年10歳。

 

個人的にとっても
特別な年になると
確信しています。

大好きな大好きなOjojoと
一緒にスタートした

 

 

アットホーム留学

 

 

和製英語の
「アットホーム」
=温かい、心暖まる

 

英語の
「アットホーム」
=家庭で、家にいるような状態で

 

の両方の意味を
兼ね揃えています。

 

ここには・・

 

私の思いが詰まっています。

 

 

私がどのような経験を経て、
どのような気付きがあって、

 

このコンセプトが誕生したか。

 

 

共感していただけたら、
そして

今後の

 

「子育て」「生き方」などに
少しでも活かしていただけたら

 

嬉しいです。

 

今日からしばらくの間

マキの誕生から
『アットホーム留学』
『アットホーム留学ティーチャー』
そして・・・
『アットホーム留学パフォーマー』

誕生ストーリー。

 

横浜はあったかすぎて
コタツは不要な状態ですが・・

どうぞゆったりのんびり
過ごしながら

さらさらっと読んでいただけたら
嬉しいです。

  

 

目次

【誕生ストーリー《1》】〜マキ誕生から
通院漬けの小学校時代〜

  

愛知県豊橋市に生まれました。

 

 

いまさらですが・・
ハーフではありません。
純粋生粋日本人♡

 

寡黙で冷静、真面目で優しい。
いつも聞き役。
いつまでも向上心を失わない、
「学び」の見本の父。

 

自由奔放で天然キャラ。
とにかくしゃべりだしたら
止まらない。

常日頃の生活から
「愛」と「家庭」の大切さを
教えてくれる母。

 

マイペースでおっとり。
だけど芯が強く、
「スピリット」の部分を
教えてくれる姉。

の4人家族。

父の仕事の関係で、
3歳のころに横浜に
移り住みました。

 

 

姉とは3つ離れていて、
いつも「負けじ」と
同じことを自分でも
やるようになっていました。

 

この頃からかな、

 

すでに「なんでも自分で!」
やりたがり、

いつの間にかお手伝いもよく
するようになっていました。

 

 

幼稚園入園と同時に、
これまた姉の影響で、

ピアノもスタート。

 

がとにかく大好きで、

電車の音、
そこで生まれるリズム

お風呂のお水のしたたる音、
不定期なリズム

 

風の音、
雨戸の音・・。

 

動物の鳴き声

そして人の声。
 

幼い頃からあらゆる「音」
関心を持っていました。

家族も非常に仲も良く、
楽しい思い出も
たくさんあるのですが、

 

 

やんちゃで
おてんばだったのか・・・

 

 

早速突然悲劇が襲います。

 

年少の時、幼稚園の遊具
「たいこ橋」から落ちて

顔面を強打。


(おそらく、この時脳も強打。)

 

この「一瞬」の出来事から、
私の通院漬生活の幕開けです。

 

 

本当に・・・一瞬で
人生がガラッと
変わるんですよね。

 

 

結果的に

 

『アットホーム留学』の
大事な要素にもなるような
学び
得ることができましたが、

 

 

まぁ当時は・・・
結構壮絶でした。

 


軽くあげてみます。

 

「歯」:

この幼稚園での事故のせいで、
小学校卒業まで6年間矯正をつけ、
歯茎にメスを入れる
手術等も行う。

 

 

壮絶な治療と通院生活でしたが、

通院の時に得られた大事な宝物、

それは、


母を独占する時間。

 

 

小学校低学年の頃は、
姉が受験生活をしていて、

母は姉にどっぷり。

 

父が週末たくさん
連れ歩いてくれたし、

家族旅行も欠かさず
いっていましたが、

 


やはりどこか寂しい気持ちがあって
母に

 

 

 

 

こっち向いて・・・」

 

 

 

 


と体を張って
伝えていたのかもしれません。

 

どんなに忙しくても、
母はとびっきりの愛情を持って

寄り添ってくれました。

 

母と通院する際も、やっぱり

 

電車の音とかリズムとかを
楽しんでたなぁ・・

今でも覚えています。

 

どんな漫画を読んでいたのか。
何を食べたか・・・。

 

鮮明に覚えているのです。

 

 


マキちゃんよく頑張ってるね、
えらいね。

 

この一言がどれだけ
嬉しかったか・・。

 


五感の記憶ってすごい。
そして、言葉の力ってすごい。

 

子どもにとって大切なものって、
「物」とかよりまず


ママとの時間。
そして愛。

 

短くても、「心一緒に」時間を
母親と過ごすって

とっても大事だとの
学びを得ました。

 

「目」:

小学生低学年の頃から
近視、遠視、乱視、
斜視を併せ持ち・・・


小3でビン底メガネ。

(塾の教科書は拡大コピー。)

 

1200x630bb.jpg

(写真元:itunes)

 

この海外ドラマの主人公
ご存知ですか???

 

正直アグリーベティ見たときは、
メガネ&矯正・・

 

 

 

 


自分の小学校時代を
思い出しました・・。

 

その後

 

「輻輳不全(ふくそうふぜん)」

という、
物が二重に見える病気を発症。

 


焦点を合わせるのも
しんどい時が多々。

MRIで脳を調べたり、
何度も大学病院に通います。

 

これまた全て、片道2時間以上
母と毎回行くのですが・・

 

通院漬の割に診察はほんの数分。

 

回復もしないし、
原因もわからないまま。


病院の診断は、

 

幼稚園事故の後遺症か、
自律神経失調症の疑い。

 

でも結局のところ原因不明。

 

 

 

「こういう病は、、、


自分で克服

していくんだよ。」

 


大学病院ではなく、

 

地元の眼科医の先生に、
この言葉を言われて、

今までの通院は
何だったんだ!!!
と思いながらも、

 

 

正直ものすごく腑に落ちたのを
これまた鮮明に覚えてます。

 

嘆いても始まらない。

 


その病気を自分なりに受け止め、
乗り越えていくしか

ないんだと、幼いながらに理解。

ある意味単純だったのか・・

 

 

中学に上がるころには、
物が二重に見えるのは、

 

本当に目を酷使したときだけ、
にまで回復しました。

 

振り返ってわかることですが、
小さい頃からこうやって、

 

自分の力を信じて、
辛いことも痛いことも、
克服していく経験が出来たことは、
後の自分の強さにもなりました。

 

だけど、告白すると・・。

 

負けず嫌いだった性格もあり、
なかなか
誰かに
泣きつくことが
できない状態でした。

 

 


体の不調を通して
主張していたところも
あったと思います。

子どもってなかなか
「言葉で表現できない」
んですよね。

 

そんな時、
「言葉」ではなく、
「態度」や「体調」に
明らかなサインが出てきます。


だからこそ、

 

 

ママパパが常にそれに
気付けるような

心や時間のゆとりが必要。

 

察知して受けとめる力も必要。

 

そして、

 

子どももまた、
「言葉」で表現できるような力
つけていかないと

そのまま大人になってしまう。

 


わが身をもって
幼いながらに体験し、
学んだエピソードでした。

 

 

次回は、小学校で学んだこと。


プログラム化された授業
「以外」で
学んだこととは何だったのか。

 

どうぞお楽しみに。

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